音楽は自由と言うならば…

「自分にとって自由じゃない音楽」も認めなければならない。

例えば、「価値観は人それぞれ」と言いながら、「家事と育児は女がやるものだ!」という価値観は受け入れないという人がいる。そういう人は全然人それぞれなんて思ってなくて、「男でも家事、育児を分担しましょう」という価値観しか認めていない。

同じように、音楽は自由と言うならば、「自分の思う自由な音楽」だけでなく、「自分の思う自由ではない音楽」の存在も認めないと筋が通らない。

「音楽は自由なのにツェルニーなんて弾かされて~」「音楽は自由なのにコンクール用の画一的な演奏が~」と言うならばそれは「音楽は自由」と思っていない。音楽は自由ならば、ツェルニーに価値を見出すことも、コンクールで順位がつくことに価値を見出すことも、自由であるはずだ。

それを認めたくないのであれば、「音楽は自由」と言っているだけで本当はそう思っていないことを自覚しなければならない。

そもそも「音楽は自由」って趣味でやっているからこそ思うことなのかもしれない。

私たちが普段している仕事だって、趣味でやってる人が存在する。仕事なのだから、完全に自分の自由にできるわけではなく、成果として認められる一定の範囲がある。趣味でやってる人に言わせれば「〇〇はもっと自由であるべき!金儲けの道具に使うなんて!」だろう。でも仕事にしている我々からしたら「いやいやw何言ってんのw」となる。

かくいう私も仕事でやってることを趣味でもやってるクチであるが、仕事では客がいるため客の求めに応じることが最優先となり、自己表現など差し挟む余地はない。それを見て「自由じゃない」と思うかもしれない。でもそんなの仕事なのだから当たり前で、誰の意見も聞かなくてもいい趣味の領域では存分に自由にできる。

音楽も同じことかもしれない。お金が発生する以上、「一定の範囲」から外れてはいけないのだ。

ピアニストも、音楽の先生も、見えている部分は要するに「仕事」なのだ。「古いつまんない解釈する人だな」と思っても、それは仕事面だけの話で、家で誰にも聞かれない状況では案外先進的な解釈で自由気ままに弾いてるかもしれない。

見えてる部分だけではわからないもの。「音楽は自由」だとしても、「仕事は自由」ではないのだ。

もしも本当に音楽が自由だと主張するならば、そういった面だって認めなければならない。

音楽が好きじゃなくても、たまたまお金を取れるぐらい得意だったから、仕事にするのも自由。

昔ながらのガチガチの解釈で演奏するのも自由。

コンクールで勝つことだけを目的にして、コンクール受けのする演奏をするのも自由。

1日何分練習しようが、物事の中で音楽の優先順位が何位だろうが、自由。

人には人の目的があり、どんな目的を持ち、どんな取り組みを行おうと、誰にも批判されるものではない。

だって音楽は自由なのだから。

※「音楽は自由ではない」と言うならば上記の限りではない。

読んだよ! 5
読み込み中...
                   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。