クリエイターとアーティスト

ふと考えたこと。

必ずしも10対0ではなく、また必ずしも常にそうだとは限らないが、クリエイター的な人間とアーティスト的な人間がいると思う。

私の意見をざっくりというと、

クリエイター:課題が自分の外にある

アーティスト:課題が自分の中にある

「商談にも使えそうな落ち着いた雰囲気の喫茶店で流すBGMを作りました」がクリエイターで、「抑えきれない恋心を音楽にのせて表現したぜ!」がアーティスト。

「落ち着いた喫茶店のBGM」という課題は、客観性があるので、課題をクリアしているかどうかは外部が判断できる。でも、「恋心が表現できたかどうか」は自分にしかわからないので、自分の判断だけでヨシとするしかない。

私がどうなのかというと、明らかにクリエイター側の人間だなと思う。

ピアノレッスンにおいては、先生に「こう弾いて」と言われると、「よーし、やってやろうじゃないの!」と燃え上がる。

明確に課題を与えられて、その課題をクリアするために力を磨いて、認めてもらうことが楽しいと感じる。

逆に、「どう弾きたい?」と聞かれると、まごまごしてしまう。(聞かれたことはないが)

たぶん、「この曲はこう弾きたい!先生と意見が対立する!」という方は、アーティスト的なのかなと思う。(あくまで私の意見なので…)

別にどっちが良いとか、どっちが偉いとかいう話ではないし、上で述べたように、クリエイターの人はもうずっと100%クリエイターというわけではなく、「こう弾きたいな~」というアーティスト的な気持ちをもったりすることもあると思う。

それに、「先生からの課題のうち、これはちょっと納得できない」ということも時にはあると思う。

幸い、今の教室の先生に「こう弾いて」と言われる内容は、「確かにそう弾くと良い感じだな」と自分でも納得できることばかりなので、私も「よっしゃその通りできるように練習してみせる!」とやる気を出すことができて、ありがたいなと感じる。

そんな私でもたまには「あ~自分の思うままに表現したいな」と思うときがあり、音楽というものはそういう気持ちを受け入れてくれて、私の手足となって音を奏でてくれる。

音楽が好きじゃないのに、音楽をずっと続けていたいと思う理由の一つは、そこなのかなと今書いていて思った。

以上、なんとなく思った人間の気質の話でした~。あくまで私の意見なのでご容赦ください。

<追伸>

私は友達がいなくて言う相手がいないので、上の記事とは1ミリたりとも関係ないけど、ここで主張させて頂く!

桜って、咲き始めも満開も綺麗だけど、なんといっても葉桜になりかけの、緑とピンクが入り混じった姿が一番美しい!

だから、散り始めても、オーケーオーケーウェルカム、若葉カモーン!って感じ。

もし共感してくれる人がいたら嬉しい。

読んだよ! 5
読み込み中...
                   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です