っていう小説ありそう。さよならドビュッシーみたいなノリで。
レッツレッスン!略してレッツン!
◆はたらく工場長(ツェルニー30番の7番)
テンポアップしたら左手がめちゃくちゃの壊滅状態だったが左手については特に何も言われず、ほとんど右手の弾き方の指摘だった。
これ左手いいのか…?
と思っていたけど、多分よくない。
でも、別に指摘したところでどうにかなるものじゃないから言わないんだな。と思った。
思うに私の先生は「生徒ができてないと自覚してて練習やスキルアップすればできるようになる」部分についてはあんまり言わないのかなと思った。そんなん言っても仕方ないし。
逆に右手については、気付いてないけど明確によくない弾き方をしている、あるいはこうすればもっとよくなる、というのがあるから指摘してくれるのだろう。
「ミスよりも音楽的に弾けてることの方が大事」と前言われたが、まさにそのときのコンディションによって変わりうること(ミスなど)よりも恒常的にパフォーマンスするべきことを教えてくれてるのだなと思った。
で、右手の悪い部分が直ったところで、左手がメタメタだったけど、かなーりのおまけ合格をもらった。あまりスッキリしないが、まあ今後の復習に乞うご期待…できるのか?できるできないじゃない、するのだ…。
◆ソナタ2番(モーツァルト)
まず通しで弾く。
先生「モーツァルトってソナチネとかやってない方だとでたらめに弾いたりするんですけど、やられてたのでちゃんと弾けてますね!」
逆にモーツァルトをでたらめに弾くってどんなんだろう…?想像できないが…。ドビュッシーとかならわかるが…。
で、レッスン前は、この曲どうしたもんか?と取り扱いをよくわからないまま弾いてたのですが、今日のレッスンでモーツァルトの弾き方をたっぷり教わってきました。
特に、楽譜上は別音符として書かれてるけど一つの和音であるからそれを意識した弾き方をするっていうのが大きな気づき。何にも考えずに別音符として弾いてた。
なんか、大人ピアノを再開するときに「子供の頃の音符をなぞるだけの弾き方はしないぞ!!」って思ってたはずなのに、そう思ってても音符をなぞるだけになってしまっているんだなと思った。
もう…音楽ってなんなん?ややこしくない?なぜ人類は音楽などというものを生み出してしまったのか…。
(※余談。音楽を「覚えることが多くて複雑で大変なもの」と捉えていること自体が音楽を感じられてないことの証なのだろうか。何の知識も持ってなくても、曲を聴いて美しいと感じたり、身振り手振り表情などで音に合わせて自然に表現したり、ここはこう弾きたいと自分の感性で思ったり、そういうことができるのが音楽を感じる心があるっていうことなのだろうか)
最後にハロウィン時期なのでお菓子もらって帰りました。
ハロウィンといえば、レッスンの中でたまに「バイオリンのように弾いて」ってよく言われるのですが、そのときの先生のバイオリンのものまねがめっちゃ上手いんですよね。って何が「ハロウィンといえば」やねん。「ん」しか合ってないやん。
まあ確かにピアノって鍵盤が88個に区切られてるわけですけど、当然ながら音の数は88個ではなくて無限にあるのだから、鍵盤と鍵盤の間にある無数の音程の変化を感じることこそが本来の音楽なのかもしれない。
という、この「バイオリンのように弾く」も今の先生に習って衝撃を受けたことの一つ。
いやしかしモーツァルトの練習が俄然楽しみになってきました。