演奏会に行ってきた

行ってきたのだよ。

といっても普通の演奏会じゃなくて、あまり詳しく書くとあれなのでざっくりいうと、音楽とIT技術の融合の試みの披露の場、みたいな感じの演奏会。(「の」が多い)

音楽は普通のオーケストラと、ピアノ。クラシックとかではなくて現代音楽みたいな感じ。そこにIT技術が使われている。みたいな感じ。(「みたいな感じ」が多い)

思ったこと。

まず音楽。

・コンサートマスターが本当にいる!!
・現代音楽って一体何なんだ。これがアートなのか。オケの楽譜どうなってんのか見たいわ。ヤバそう。
・指揮者すげぇー。飛び跳ねてる。指揮者の動きと音楽の盛り上がりと会場の演出で観衆を引き込むこの感じよ。
・ピアノの蓋が開いてるどころか蓋ごと取り外されてたんだけどオケだとこれが普通なのか?
・ピアノはオケに埋もれると弾いてても聞こえないものなんだな。今後オケ(もどき)曲作るときの参考にしよう。

そして…全体を通して思ったこと。

一人では何もできないんだなということ。

今回の演奏会は音楽とITの融合ということで今はまだ知られてなくても、今後これが一つのジャンルになっていくかもしれない。

つまり音楽の歴史に新たなページを作ろうとする取り組みといえる。

当然ながら、作曲家は曲を作ることしかできない。ピアニストはピアノを弾くことしかできないしバイオリニストはバイオリンを弾くことしかできない。いい曲を作ったりいい演奏をして誰かの心を動かすことはできても、しょせんそれは自分の領域の中で戦っているだけ。一人では自分の領域で戦うことしかできない。領域外に出るには誰かの助けが必要だ。

作曲家が自分の表現にITを取り入れようと思っても、当然そんなノウハウはないし時間も力もない。ITの専門家の助けが必要になる。ITの専門家だって音楽的なことがわかるわけではない。そこで両者の橋渡し役になるコンピュータ音楽の専門家も必要だ。そしてそのITやコンピュータ音楽の専門家だって一人で研究してるわけじゃない。部下や協賛者など名前の出てこない存在に支えられている。

世界に影響を与え、世界を動かし、世界を変えるには、それだけの繋がりが必要だ。無数の人々がそれぞれの専門を出し合って研究を重ねて何度も試作してようやく何かができる。それでも世界を変えられるとは限らない。不発に終わるかもしれない。音楽とITなんて流行らずに消えていくかもしれない。

一人では、何もできない。

私がどれだけ必死にピアノを練習しても、月の光が弾けるようになっても、ツェルニーをマスターしても、舞台で最高の演奏を発表できても、超神曲を何曲作っても、世界は何も変わらない。私は無力であり私のあらゆる営みは私以外には何も影響を与えずに終わる。

元からわかっていることではある。私のピアノが私の自己満足以外の何物でもないことなど承知の上だ。私はただ趣味でピアノをやっているだけのそこらへんの一般人だ。プロですらない。私がピアノで世界を変えようとか、ピアノを頑張れば世界に影響が与えられるとか、そんな大それたことなど思っているわけがない。ゲームや読書をするのと同じ、ただの余暇の使い方の一つにすぎない。

だが、いざ「多数の人がつながりあって世界を変えていこうとする試み」を目の当たりにすると、自分が生きていることの無意味さを、無力さを、矮小さを、そして今私がこうして呼吸をしていることとは何の関係もなく世界は勝手に動くべき方向に動いていくのだという真理を突き付けられたような気がして、ひどく虚しい気持ちになった。

人間とは。人類とは。一体なぜマンモスを狩って暮らしていたはずの世界はここまで変貌を遂げてしまったのか?

もう何も考えたくないや…。やっぱり来世はもやしとして生まれ、ナムルとして死のう。

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