弾けない自分が嫌になる

最近闇ってる記事が続いててすみません。

今日も闇ってます。すみません。

なんか、ピアノの世界を知れば知るほど、どうして自分はできないんだって落ち込んで自分のダメさに嫌気がさします。(ぐわー)

別に、才能とか云々という話ではなくて、今私が弾けないのは、子供の頃からちゃんと練習してこなかったからだっていうのは理解しているのだけど。

まあ、練習してたら弾けるようになってたのか?というとそれはわからないけど、少なくとも、「全力を尽くしたけどできなかった」と「やらなかった」では心の持ちようが違いますね。

今更過去のことを悔やんだって仕方ないのは百も承知だけど、どうしても思ってしまいます。

・なぜ、子供の頃に、もっとちゃんと練習しなかったんだろう。

・なぜ、子供の頃に、楽譜通りに指が動く以上のことがあるって分からなかったんだろう。

・なぜ、子供の頃に上手い人の演奏を聴いて、自分との違いに悩んだり、その人のようになれるよう試行錯誤しなかったんだろう。

・なぜ、まともに指すら動かせてないのに、ただ上級の曲に「取り組んでいる」というだけで「自分は上級なんだ♪」なんて甚だしい勘違いができたのだろう。

・音大を目指すわけじゃないから、先生だって適当におだてて「上手いね~☆」と言っていただけなのに、どうして真に受けて「自分は上手いんだ♪」なんて勘違いができたのだろう。

・なんでピアノやめちゃったんだろう。

(↑しかし、真面目に、なぜ??なぜどういう思考回路で上記のようなことが発生したのか過去の自分に問いたい。いや小学生とかなら仕方ないけど高校や大学になれば練習の必要性も自分の実力もわかるやん??????)

言っても仕方ないけど、でも、過去には戻れないからこそ、過去の自分を責めてしまいます。

今日、町で子供を見かけて、「この子には無限の可能性があっていいな…」とかちょっと嫉妬してしまって末期だなと思いました。

それでも、「私は才能がないからピアノなんて弾けない」って諦めてしまうのは、20代までの自分。才能がないとしても、人より劣ってるのだとしても、やめるよりは続けている方がいいと思って練習は続けています。

けど、練習しても練習しても実を結んでる感じが全くしなくて、グランドピアノ練習室に行けば音が全然鳴らなくて、動画を撮ってみても超絶下手で、手のフォームもおかしくて、何も進歩してなくて、そしてこの闇に至る。

ちなみに、「YouTubeに上げてるってことは本当は上手いと思ってるんでしょ??」「そんなことないよ待ちでしょ??」という説もありますが、断じて違いますからー。

自分ではどうにもならないと思って教室に通い始めたけど、通っても上手くならないんじゃないか。今からどれだけ練習してももうどうにもならないんじゃないかって恐怖がすごい。

ピアノの先生だって、しょせん大人の趣味ピアノで、しかも練習環境が電子ピアノの人に「芯のある音が…」とか「響きが…」とか言われても困るでしょう。

何より、ピアノの先生も、YouTubeの動画講座も私を弾けるようにはしてくれません。私が弾けるようになりたいなら私が自分で弾けるようにならないといけない。(←なんか進次郎構文っぽい)

結局は、自分しか頼れるものがなくて、その自分が子供の頃から何も積み重ねてこなかったダメダメ人間だということに、軽く絶望。(ぐわー)

でもピアノの練習は楽しいから、毎日ハノンからやってるし、今月の楽譜予算1万円何に使おうかなーと思ってるし、次の譜読み何やろうかなーって考えたりしている。ベルガマスク組曲プレリュード?なんですかねその曲は…。

「趣味なのに考えすぎてピアノが嫌になったら本末転倒」みたいな意見があるけど、嫌になるのは上手く弾けない自分であって、ピアノが嫌になることはない。たぶんみんなそうですよね。「厳しいレッスンでピアノが嫌になった」っていうのも「厳しいレッスン」が嫌になっただけですよね。たぶん。知らんけど。

まあそんな感じで心の闇を吐き出してみました。こんなことリアルで誰にも言えないので自分のブログに書くぐらいは許してほしいところです。明日から通常運転に戻りたいと思います。来週の土曜日はピアノ教室初レッスンなので楽しみです。ベルガマスク組曲ちゃんとやります。願掛けでアイキャッチ画像は「いらすとや」さんのドビュッシーにしました。いらすとやすげーな。以上。

読んだよ! 6
読み込み中...
                   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です