いやぁ~なんか超絶個人的なぼやきなんですけど、他に吐き出す場所がないので、ここに書き散らかすことをお許しください(¯人¯)
私の年齢って社会人として一番脂が乗っている時期というか、若手の中でも優秀だった人が徐々に頭角を現してくるみたいな年齢なんですよね。
で、中学や高校の同級生の近況とかが耳に入ってくるわけです。
で、気付いたのが、みんな子供の頃に得意だったことがそのまま職業になっているということ。なんか、普通のサラリーマンやってるのって私だけなのでは??と思うほど周りがみんな特殊な職業であることに驚く。
運動が得意だった人は体育教師とか消防士、吹奏楽部でクラ吹いていた人はクラリネット奏者、絵が得意だった人はイラストレーターとかデザイナー、料理好きな人は料理研究家…といった風に。
なんかそれが結構衝撃というか…得意なことってただ単に「得意である」それ以上でもそれ以下でもなく、「絵が得意なサラリーマン」とか「クラリネット趣味のOL」とか「運動好きな主婦」とかにみんななるものだと思っていた。得意とか好きなんてものは金太郎飴の中のちょっとした差分に過ぎないものだと思っていた。
好きなことして生きていく、得意なことで生きていくなんてごく一部の特殊な才能を持った人間だけができることなのだと思っていた。(まぁ、私の同級生がたまたま一部の特殊な才能を持った人間ばかりだったという説もあるが…)
こうも綺麗に「あの人〇〇が得意だったな~」⇒〇〇を職業にしている、という事例ばかり揃っているのを見ると、実は特殊なことなんかじゃなくて、普通の、ごく一般的な、誰でも目指せる生き方だったのか?と思えてくる。
それを踏まえて自分のことを考えると…
私は4歳からピアノをやっていたけど、音大に行こうとか、ピアニストやピアノの先生、音楽の先生になろうといったことは考えたこともなかった。考えたこともないというか、そういうのは特殊な人のすることで、自分のような一般家庭の一般人が望むことではないと思っていた。
でも、仮にそれが特殊なことじゃないと知っていたとしたら??
音楽をずっとやってきたという理由で、音楽の道を目指してもいいんだと知っていたとしたら??
大前提として、私は「音楽が得意」といえるほど上手くなかったし、才能など皆無。なので、目指したとしても途中で挫折していただろうし、別に「音大に行っていたら今頃音楽を職業にできたのにな~」みたいなことを言いたいわけではない。
しかし、もし少しでも「音楽の道を目指してみようかな」という意識が心に芽生えていたら?
それに向けて努力する方向に舵を切っていたとしたら?
今とはほんの少しでも違う人生になっていたのではないか?
すべては意味のない仮定の話だけども…。
そういう可能性を考えると、少しつらい。トライしなかった方の未来はどうとでも都合よく想像できてしまう。普通に考えれば私のような凡人は替えのきくサラリーマンとして生きるのが一番の大正解に決まっている。やり直したとしても結局はサラリーマンになるだろう。でも結果が同じだとしてもそういうことじゃないんだよな。
まぁ、今さらいいんですけど。結局自分の人生のポテンシャルはこれだけだったのだ。
でもこれだけは思う。もしお子さんがいる方がいたら、そんなの無理に決まってる、とか、あなたにできるわけない、みたいなことを言わずに、目指したいものを目指してもいいんだということを教えてほしい。
昔、先輩に「30代以降は20代までの貯金で食っていくものだ」と言われ、30代になってしばらくは「先輩の言葉の通りになるものか。今からでも貯金を作ってやる」と気張っていたけど、最近やっぱり無理だなと悟り始めているすずかさんのパーソナル人生相談室(相談してない)でした~。何かを始めるのに遅すぎることはないと言えるのはそれで自分が成功したからであって、その裏に何百倍もの敗れて去っていった者が存在していることを忘れてはならない。