「今日の夕飯何にするか迷ってんねん」
「何や夕飯迷ってんの?ほなオレが決めたるわ。せやなぁ…、餃子!餃子とかどうや?」
「実は2つのうちでどっちにするか迷ってんねん」
「何やもう決めとったんかい。何と何で迷ってんねん?」
「それがな、ビーフシチューと…」
「ビーフシチューと?」
「牛肉と玉ねぎのデミグラスソース煮込み」
「牛肉と玉ねぎのデミグラスソース煮込み…?何やオシャレな料理やな…って」
「それビーフシチューやないか!!!」
「え~?ビーフシチューちゃうで、牛肉と玉ねぎのデミグラスソース煮込みや」
「だからそれをビーフシチューというねん!!」
「ビーフシチュー分解してみ?牛肉と玉ねぎがデミグラスソースで煮込まれとるやんか!!」
「そうなん?」
「そうや。でビーフシチューともういっこ何やねん」
「BFT」
「BFT…?」
「ってそれビーフシチューやないか!!!!」
「そんなベーコン・レタス・トマトみたいな言い方しても騙されへんで、ビー・フ・シチューでビーフシチューや!!!!」
「だからビーフシチューちゃうで、BFTや」
「ほなBFT何の略か言ってみ?」
「…」
「言われへんやろ?だってビーフシチューやもん!」
「もうええ。ビーフシチューともう一つ何なん」
「へなはばますたかや」
「ビーフシチューや」
「どうせビーフシチューや」
「その暗号みたいなんまっっったくわからへんけど解く必要ない」
「どうせビーフシチューやもん」
「さっきからあの手この手でビーフシチューを別の言葉に言い換えとるだけやもん。何やこのビーフシチューへのこだわりは」
「あのな、ビーフシチューともう一つ何かで迷ってるっちゅーから聞いてんねん」
「はよそれ教えて」
「実はな、実家からたくさん採れたいうて送られてきてんねん」
「実家から送られてきた?野菜とかか?たまに野菜とか送ってくれる親いますよね。たくさん採れたから食べてや~、健康気ぃつけてな~って。親の愛ですよね。たまねぎとかね。にんじんとか。せやろ?」
「ビーフシチューのルー」
「なんでや!!!!!!!」
「ビーフシチューのルーがたくさん採れたってどういうことや!!お前の実家ビーフシチューのルー作っとる会社の社長か?どこに健康気ぃつけてな~ってビーフシチューのルー送ってくる親がおんねん!!おかしいやろお前の実家」
「ほなもうビーフシチューでええわ」
「ルーたくさんあるなら食べよ。ビーフシチューにしよ。はよ作って」
「あ」
「今度は何や」
「なんか急にハンバーグ食べたくなってきたからハンバーグにする」
「もうええわ」
「「どうもありがとうございました~」」
(大阪弁は適当)
練習時間自体は、8月の34時間から10時間近く増えましたが…、別に熱心に練習していたわけじゃないんですよね…。
ハノンのスケール全調を(ほぼ)毎日やったり、ツェルニーの合格した分まで復習したり、曲を増やしたりしたから勝手に増えただけであって、別に練習内容は変わっていないし、モチベは低いままだし、質でいうとかなり最低品質であった…。
もうピアノを再開して以来とてつもなくひどい月だったとしか言いようがないです…(´;ω;`)モチベが完全に切れてしまって完全に仕事だと思って練習していました…。
ブログも全然書かなかったんですけど、練習中は「無の境地」(悪い意味で)だったから、ピアノを弾いていても何も感じることがなく、書くことがなかったんですよね。
グランドピアノ練習に行っても、レッスンに行っても復活しないから、どうしたものか…。今までこんなことなかったんですけど…。レッスンに行けばうぉ~↑↑ピアノ~↑↑ってなってたのに…。
まあでも一応、1ヶ月で曲を仕上げるチャレンジは継続しようと思っていて、10月の強化練習曲は決めました。9月は4曲やろうとして玉砕したので2曲に減らしてみましたが…。
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他の人と比べても意味はないし時間の無駄っていうのはほんっっっっとうにそうだと思うんですけど、どうしても比べてしまう。上手い下手はもう仕方ない。個人の技術とか、ピアノ歴、練習の質、環境とかによるから。でもピアノに対する熱意は別に上手くても下手でも持つ権利があって、それが他人にあって自分にはないということが…。
だって仕事でもないのに、趣味でピアノを年単位で継続とか、毎日コツコツ練習なんて、なんでそこまで頑張れるんだ?そしてなぜ私は頑張れないんだ?と比較しては落ち込む日々。練習しない子供時代を悔いているはずなのに、結局ちゃんと練習してないじゃん?練習しないと…と思ってピアノの前に座るけど、姿勢も弾き方も間違ってる、ミスがなくならない、練習しても手ごたえがない、この練習意味あるの?そしてまたモチベが下がる…。頑張れない…。
仕事だと思って続ける、じゃなくて、楽しいから続ける。という方向に持っていきたい。でもそんな風になれる気がしない。楽しいから、っていう理由が継続するモチベになるという感覚がよくわからない。仕事だったら、お金がもらえるというメリットや、辞めたら生活できなくなるというデメリットがあるけど、楽しいだけなら辞めてもデメリットなくない?と思ってしまう。
でも楽しくて続けてるっていう人の方がピアノに対する熱量は比べ物にならないぐらい強いと感じる。技術的に上手くなくても、熱量のある演奏は心が動かされる。何なんだろうこの差は、なぜ私はそうなれないのか…。
ピアノを熱心に必死に練習した先にしか見えないものがあると思う。例えば発表会で弾き切ったときの達成感とか、憧れの曲を形にできたときの喜びとか、そういうもの。熱心になれない限り、そういう景色は見れないままなんだろうな…と思うと、なんというか…。虚無感?何のために練習してるのか…みたいな。
何でもいいけどとにかくモチベが戻ってきてほしいです。この際仕事だと思うのでもなんでもいいから弾きたい!!という気持ちを取り戻したい。どうすれば復活するのか。
モチベよ来い!!!!!!!
<何でしょう?
だから恐いってば(´;ω;`)
すずかさん、こんにちは。ビーフシチュー、楽しく読ませてもらいました。ブログのトップにある綺麗なお花の写真からのイメージと、ジョークを飛ばしているすずかさんのイメージのギャップもいいですねぇ。今後ともやんごとなき面白いすずかさんのブログ楽しみにしてますよ。モチベのキープ、みなさん波があると思いますよ。私は50歳になった時、「やばい、死ぬまでに弾きたい曲たちが終わらない。」と思ったあたりから良い感じでモチベキープできてますが、これも季節の変化や仕事の忙しさでアップダウンあります。
やんごとなきコメントありがとうございます!
モチベ、やはり皆さん波があるものなんですかね!?
たまたま今が干潮なだけなのでしょうかねぇ。そう信じたいですが…。
これを機に、ぜひGari飯のレパートリーにビーフシチューを!(もうありそうですが…)